深夜のTwitter学際 議事録

昨日のお話。

 

鍵垢からパクツイして勝手に呼びかけたら始まってしまった「第一回Twitter学際(仮)」

今回はその議事録を勝手に作ってまとめたので、ここに残しておきます。

 

 

 

第一回Twitter学際(仮) 議事録
「教育上と専門上の法律と法の違い等について」

発端:@twinsmurmur/教育学(むる△)
質疑:@smoke_akane/経営学(あかね◀)
回答:@Lycorine_a6/法学(りと▷)

今回の一連の質疑応答は、それぞれが専門的立場を持った上で実施をしたが、あくまで学生レベルの議論であることをご承知いただきたい。そのため、あくまで個人の認識と主張であることに留意されたし。


_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_


(むる△)
@法学部各位 法と法律の違いってなんですか。
(あかね◀)
上記Tweetをパクツイ、りとへ転載

(りと▷)
難しい問題であり、国家要素の話を抜き日本国における法と法律の違いであればわかりやすい。
(あかね)
日本国内に限定した場合どうなるのか。
(りと▷)
単純にいえば、法は刑罰や応報を前提としない規範一般のことを指す。
そのため、原始的な道徳も含むし、「〜してはいけない」「〜しなければならない」といったような定言命法を含むものはその性質のいかんによらず全て法ということができる。
(りと▷)
対して法律は国家による制約をもつ強制力の一つといえる。これは刑罰や応報の付随も是とするし、もっと厳密に言うのであれば国家が明文として定めたもの、たとえば刑法や民法は成文法としての法律の地位を持つ。
(りと▷)
ただしこの解釈は非常に曖昧で、文章になっていれば「法律」とよべるかというとそうではないし、文章になっていないために「法」かといわれるとそうではない場合も多くある。
法律というものをどんな視点で二分するかによって大きく性質が変動する。
(あかね◀)
そのために明文についての解釈について法の解釈(拡張解釈、縮小解釈等)が存在すると捉えた。
では、国内に限った場合の「司法」についての解釈について継いでお聞きしたい。
「司法」とは「何か具体的な揉め事が発生した場合に"法"に基づいて解決する機関組織」という認識は正しいか。

 

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
/上記あかねの発言について補足。
むるよりあかねへ追加質問依頼。
(むる△)
そもそも司法って何?という疑問に、私は司法を「何か具体的なもめごとが起きている時、法をもとに解決すること」と解釈してるのだけれど、これは正しいか。

※あかねは上記を追加質問するが、この際文章の書き換えにあたり、司法を機関組織と認識し再構成。
これについては、むるは司法を「こと」「権力」といった現象として認識しており、齟齬が生じる。
そのため、司法という存在について再度補足質問を後に実施した。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

 

(りと▷)
日本の司法は法と法律の両方に拘束される(場合がある)ため、半分正しく半分間違ってる。
判例法主義という立場であれば、それは法に拘束されると解釈するべき。判例は制定法ではないため。
日本は制定法主義だから、明文に拘束される面では、法律に基づいて解決するといえる。
(りと▷)
既判力が及ぶ場合があるから、それは法に基づいて解決の糸口を掴んでいるといえる。
(既判力とは過去に起きた事例で裁判所が出した決定がそれ以降の決定に影響を与えること)

 

_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_

 

以上をTwitterタイムライン上で実施した。以降はダイレクトメッセージにて実施。
あかねはむるへ上記りとの一連の発言を転載。
(むる△)
概ね知りたいことに関して分かった。追加質問をお願いする。
「司法」を「何か具体的なもめごとが起きている時、法をもとに解決すること」とする場合、
①学習意欲が乏しい傾向にある生徒に対して、特に高校社会科の授業内で行う説明として、司法を権力として噛み砕いた上記説明を行う場合、専門的立場から意味の齟齬等は生じていないか。
②司法が判断基準とする法をあえて説明する場合、なんと言い換えるか。
③「法」を「法律」と書き換えても問題は生じないか。


上記質問を含め、再構成を行いあかねより、りとへ質疑。
(あかね◀)
これまでの話題は原本として教育学を専門とする学生の視点から、児童生徒に対して教鞭をとる際に、教員側の認識として正しいかどうかから始まった話題であり、下記を追加して質問したい。
①学習意欲が乏しい傾向にある高校生に対してこれまでのの法、法律、司法を説明する際、司法が「何か具体的な揉め事に対して"法"に基づいて解決する」という説明は専門的に適切か否か
②法をあえて短略的かつわかりやすく説明するとしたら、どういう言葉にするか
③法と法律を高校教育上で混合することに問題があるか

(りと▷)
回答する。
①専門分野としての法、法律、司法の区分であるとか、法に基づくか基づかないかといった違いについて、どう教えても多分理解できないと考えられる。専門的立場では。
適切か否かで端的に述べるなら適切でいいと考えられるが、それを「疑わない」という姿勢を持たせないことが最も重要だと思われる。(疑う姿勢を持たせる)
勿論、これは政治や国家に関する全般に言えることであるが。

②法は、ゲームでいうところのルールといえる。
ただし、「していいこと」が書いてある場合は少なく、大方「してはいけない」と書いてあることが多い。
それはなぜかというと、ルールが不当に人の権利を奪ってはいけないから。ルールがあることで救われる場合もあるし、ないことで救われる場合もある。だから必ずなくてはならない。

③については難しい問題であるため回答を避ける。
そもそも法・法律は大学教育の分野だし、高校教育までに出てくる公民、倫理、政治、経済といった教科は、大学教育のことばを「ピザ生地くらい薄くしてチョロっと教えてる」ものであり、けれども知ろうと思えば誰でも知ることができる権利を持っているわけだから、そもそも''与えられる教育''のテーマとして不向きと考えられる。

(あかね◀)
③については個人的見解として、指導要領といったベースに基づいた指導がベーシックになると思われる。
社会科学の根本的課題として留意しておきたい。
更に継いでお聞きしたい。
司法というものが機関組織であるという認識を私のような社会学ベースの人間は抱きやすく、一方で権力という見方もできる。これはダブルスタンダードと認識すべきか、解釈の問題になるのか。
(※部での質問として、立場の違いから認知齟齬が起きたものと解釈し、上記質問へ編成した)

(りと▷)
司法が権力か機関かという問題は、既にさんざん語り尽くされているのだが、これに終着点はない。
個人を対象にすれば機関、国家を対象にすれば権力と捉えられる。

(あかね◀)
指導要領から外れた、雑談領域として触れる程度のとして、法と法律の違いとして、混合しやすい認知を分離させる試みは、児童生徒学生の知的好奇心にもよるがユニークではあると思う。
古代からの哲学ないし倫理学の基礎まで手の届く範囲となる。

(りと▷)
それはいいと思う。規範がなんなのか、規則がなんなのかといった社会学の基本に触れることに繋がる。
日本の法律の原形もローマ法から脈々と受け継がれてるわけだし、人間が作ったものだから社会のシステムに対応すること以外はそこまで変遷することないし。

(あかね◀)
お門違いだからこその解釈の違いを含めて新鮮だった。感謝申し上げる。


_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_


あかねからむるへ上記回答を転載。
(むる△)
司法が機関なのか権力なのか決着が着いていないという点について面白いと思った。
教育の上で、疑う姿勢を持たせるってのは私の教科を教える上で永遠のテーマになる気がしている。

(あかね◀)
常識を疑うことを常習化させることは組織マネジメントやイノベーション等の経営学領域であっても永遠のテーマになっていると考えている。

(むる△)
因習打破、していこうな
各位に感謝。とても助かりました。今後の諸々に活かします。


_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_

 

以降、高校「現代社会」指導要領の転載が行われたが、あかねが力尽きたため終了。

本議事録は再度になるが、あくまで学生レベルで行われた議論であることを留意していただきたい。
そのため、各位の認知認識についてはあくまで個人の主観及び主張である。
議事録として形に残すのは、同時並行で行われた質問の発生と、回答の回収をしていた私が必要であるという判断に基づいて編成した。
また、口語体のやりとりを、見かけ上まともにするために各位の発言を一部編集したことで生じる齟齬については私の責任である。当人より指摘が生じた場合は即再編集を行う。

異なるコミュニティを無理やり繋ぎ行われた質疑応答のため、私あかねが仲介をすることで起きた、齟齬については各位に謝罪申し上げる。
同時に、ごくプライベートなTwitterという匿名プラットフォーム上で行われた今回の学際的議論は非情に有意義なものになったと感じている。本来であれば専門的立場という部分を隠したいと感じるであろう環境下でここまでの質疑応答がなされた結果について改めて感謝申し上げる。

 

以上。

作成 @smoke_akane


本議事録をブログ上で公開することに同意いただいた各位に、重ねて御礼申し上げる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

朝っぱらから疲れた!作業時間1時間くらい。けど見直してると俺結構やらかしてんなっていう印象。

なるべく経営学的視点を持ち込まず、教育と法の認識すり合わせができれば面白かったんですけどね。ただそこに変な要素を持ち込んだが故に生まれた疑問もあった。

 

学際とか、議事録とかそれっぽい言葉を持ち込んでるだけで、結局は学問上で気になることを会話してるだけなんですが、面白い結果になりましたね。

カジュアルな場であるTwitterでここまでの会話ができたというのが面白いんです。

俺とむるちゃんはかれこれ1年ちょっとくらいの交流で、オフ会で2回くらい会った人ですし、俺と水谷りとはまだTwitterフォローして2週間とかそんなもんですよ。

本来こんな重い話題を快く乗ってくれるわきゃない。ただ全員カジュアルに時事ネタとかをいじり回す人間なのでできたと思ってます。

 

第2回がまた偶発的に発生するかはなんとも言えませんが、基本的には質問者/回答者/事務屋という形がトラブルもなくいいのかなと感じました。

Twitterたのしいなぁ、だから10年近くやってるんだけど。